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キングコングバンディと猪木のボディスラムマッチみたいになってっけどよぉ by 上田晋也(くりいむしちゅー)

岡田英弘 歴史が必要だった日本

岡田英弘による”歴史”の定義
 
 岡田英弘は歴史というものを、『歴史は、何よりもまず、過去の世界はこうだったのであり、その結果、現在の世界はこうなっているのだという、書く人の主張なのである。その結果、現在の世界はこうなっているのだという、書く人の主張なのである。歴史はけっして、たんなる事実の記録ではなく、なんらかの立場を正当化するために書くものである。』としている。
 つまり、歴史は人に対して、今まで○○だったので、目の前に広がる現実世界をこのよう(歴史に従って)にみなさい、ということである。そして、最初の史書が国の性格を決める、としている。
 
 では、日本書紀は、日本の立場の正当性をどこに向けて書かれたものなのか。
 『「日本書紀」は、日本の建国を正当化するために書かれたものだから、その内容は、日本国という統一国家には古い伝統があり、紀元前七世紀という早い時代に、シナとも韓半島とも関係なしに、まったく独自に日本列島を領土として成立し、それ以来、つねに万世一系の日本天皇によって、統治されてきたのだという立場をとっている。』
 
 なぜ日本は、日本書紀という史書(歴史)を記す必要があったのか。
 『当時、唐はモンゴル高原突厥帝国を打ち倒して倭人の知る限りの「全世界」を支配し、本当の世界帝国になる。韓半島では、新羅百済高句麗のあとを受け継いで、六七六年頃から三十八度線以南を実効支配する。
 倭国が唐・新羅の連合軍に敗れた六六三年当時は、唐の艦隊がまだ対馬海峡を遊弋していて、すぐにでも瀬戸内海になだれ込んできかねない情勢だった。現に唐の使者は、頻繁に北九州や難波に来ていて、倭国は存亡の危機を迎えていた。』 
 唐帝国からの脅威に対しての独立が日本建国の理由であり、歴史として日本書紀が書かれたのである。
 『このように、日本という国家は、建国当初から後世まで、一貫して自衛的、閉鎖的な性格を持っていた。これは、七世紀の国際関係の大変動の衝撃が引き金になってできた国家だから当然で、日本列島を外からの脅威に対して防衛することが国家の最重要課題であり、鎖国こそ日本の国是だったのである。』
 つまり、日本の歴史は、chinaの脅威と支配から独立するために、日本にはchina,koreaとも無関係な古い起源があるという正当性ある立場を唐帝国向けて主張したものである。
 日本書紀という、日本国の歴史によって、日本人と日本人でない人が区別されることになる。岡田英弘は、建国時の日本人を以下のように定義する。
 『「日本人」とは何か。それは倭人新羅人百済人、高句麗人、任那人、漢人など、日本列島に雑居していた諸族の総称で、それをカバーする新しアイデンティティとして「日本」という概念が生み出された。
 「日本」という国号は、「倭」という古いアイデンティティを超越した、多種族統合の象徴だったのである。』
 
 なぜ、自国と他国で歴史的事実を譲りあえないのか。
 それは、歴史を記した史書は自国の立場の正当性を主張したものだからである。
 史書は、自国の立場の主張することなので、自国以外の他国と歴史的事実がぶつかりあえば譲歩することはありえないからである。

【参考図書】
岡田英弘 岡田英弘著作集 3 日本とは何か
岡田英弘 1931年東京生。歴史学者。シナ史、モンゴル史、満洲史、日本古代史と幅広く研究し、全く独自に「世界史」を打ち立てる。東京外国語大学名誉教授。
東京大学文学部東洋史学科卒業。1957『満州老檔』の共同研究により、史上最年少の26歳で日本学士院賞を受賞。アメリカ、西ドイツに留学後、ワシントン大学客員教授東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授を歴任。
著書に『歴史とはなにか』(文藝春秋)『倭国』(中央公論新社)『世界史の誕生』『倭国の時代』(筑摩書房)『チンギス・ハーン』(朝日新聞社
中国文明の歴史』(講談社)『読む年表 中国の歴史』(ワック)『モンゴル帝国から大清帝国へ』『(清朝史叢書)康熙帝の手紙』(藤原書店)他。編著に『清朝とは何か』他。