ぎんゆうしじんになりたい男のブログ

キングコングバンディと猪木のボディスラムマッチみたいになってっけどよぉ by 上田晋也(くりいむしちゅー)

岡田英弘 国家が歴史を創作する意味

国家には歴史がなければならないのか
 
 『アイディンティティの根幹は歴史である。「お前はだれだ」と聞かれれば名前を言う。名前には姓がある。姓は親から受け継ぐ。つまり自分がだれかということ
は、祖先がだれかということで、言い換えれば歴史である。
 どんな歴史が自分をつくったかということが、自分のアイデンティティのすべての出発点になる。個人ばかりでなく、国家でも同じことだ。できたばかりの国家が
何より先に手をつけるのが、歴史を書くことである。歴史を書かなければ、自分たちがどういう人間で、どういう国かということが決まらない。これは現実の政治の問題である。
 国の舵をとり、みんなで力を合わせるためには、歴史がないとどうにもならない。歴史がなければ神話でもいい。』
 ここで、建国200年しか年月を経ていないアメリカを例に挙げる。
 『アメリカでは、メイフラワー号に乗ってきた人々のあいだには、ありとあらゆる職業の人々がいて、それがアメリカをつくったという神話がある。もちろん、冷
静に考えればそんなことはありえないし、アメリカの高校の歴史教科書のどこにも、そんなことは書いていないのだが、それがアメリカ人の見方、考え方なのである

 アメリカのもう一つの神話は、合衆国憲法には、人類の歴史はじまって以来の最高の政治的智恵が結集しているというものである。このイデオロギーアメリカを
アメリカたらしめている。合衆国の建国以前にはアメリカもなく、アメリカ人もなかったのだから、こうした神話が必要になるのである。』
 この事情は、建国時の日本も同じである。
 『この事情は、日本が建国した七世紀でも同じようなものだった。それまでの日本列島は、いろいろな起源の人々の雑居地帯で、住民のあいだには意識の統一も、
文化の統一も、言葉の統一もない状態だった。そういうところで建国が行われたのである。
 だから、何よりも先に必要だったのは、歴史という名前の神話で、それをつくり上げることで、自分たちはみな日本人であるという、それまでなかった意識を植え
付けた。なにしろ「日本」という国号自体がなかったのだから』
 これが、国家が歴史を創作する理由である。
 唐からの鎖国という、日本の国是がもたらした恩恵と弊害を岡田英弘は次のように考える。
 『日本が現在、国際化という課題を背負って悪戦苦闘しているのは、日本がそもそも非国際化のための国家だったからではないか。
 われわれ日本人は、もともと純粋な大和心の民だっだのが、のちにシナ文化が輸入され漢心(からごころ)に染まって悪くなったという本居宣長風の観念は、明治
以後もわれわれの意識の深層にあって、しばしばヨーロッパ文化、アメリカ文化の輸入に対する抵抗となり、その裏返しにアジア回帰の願望となって頭をもたげる。

 『そういうわけで、アジア大陸と日本列島は、紀元前二世紀に始まったシナ化時代には一体の世界だったのが、七世紀の日本の建国と独立以後、分断されてしまった。
 われわれが今日、世界のなかで独立を保っていられるのは、早くアジア大陸と絶縁したおかげであり、また国際化で苦労しなければならないのも、まさにそのせい
である、というのが私の結論なのである。』
【参考図書】
岡田英弘 岡田英弘著作集 3 日本とは何か
岡田英弘 1931年東京生。歴史学者。シナ史、モンゴル史、満洲史、日本古代史と幅広く研究し、全く独自に「世界史」を打ち立てる。東京外国語大学名誉教授
東京大学文学部東洋史学科卒業。1957『満州老檔』の共同研究により、史上最年少の26歳で日本学士院賞を受賞。アメリカ、西ドイツに留学後、ワシントン大
客員教授東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授を歴任。
著書に『歴史とはなにか』(文藝春秋)『倭国』(中央公論新社)『世界史の誕生』『倭国の時代』(筑摩書房)『チンギス・ハーン』(朝日新聞社)『中国文明
歴史』(講談社)『読む年表 中国の歴史』(ワック)『モンゴル帝国から大清帝国へ』『(清朝史叢書)康熙帝の手紙』(藤原書店)他。編著に『清朝とは何か』
他。