ぎんゆうしじんになりたい男のブログ

キングコングバンディと猪木のボディスラムマッチみたいになってっけどよぉ by 上田晋也(くりいむしちゅー)

ハンナ・アーレント 5

アーレントは現代の危機的な状況を政治の危機としてとらえる。
 生産と消費、人間の欲望を充足させる財を生むための労働が、なぜ政治の意味を希薄にしてきたのか。
 労働という行為様式は、必然性、製造、消費、反復、一時性、私的欲求と満足感からなる。
 この行為様式に代わるものは何であろうか。
 
 杉浦敏子は「現代において民主主義は、プラスのシンボルとして機能しているように思われるが、他方、その隘路が指摘されることも多い。
 民主主義は治者と被治者との一致、つまり自己統治を意味し積極的な政治参加をその前提としている。
 ところが、福祉国家の進展は公権力を肥大させ、官僚機構の弊害を生んでいる。そこでは大衆の受益者意識が増大し、大衆は受動的な存在へと落とし込まれている。さらに、大衆は政治的平等だけでなく、経済的、社会的平等の実質的な達成までも国家に期待する。
 そこでは、理性的で自由な討論が十分には行われず、その結果として大衆の手による自発的で合理的な社会秩序の形成が困難になる。
 「世論」の暴力性が顕在化し、多数の専制と呼ばれる状況が起こると、民主主義の名の下に人間の自由が圧殺されるという事態が生じる。人民主権の論理が反転して、専制に転落する危険さえある。
 この民主主義が持つ陥穽の問題は、摩擦や分裂や対立の関係をも政治過程に取りこむような多元性の保障が回答になるのではないか。」としている。

 労働とは、生命の必然に拘束され、無限に同じことを繰り返す行為である。
 
 公的空間の参加者は、みんなの世界への義務を背負っている。
 
 注、ニーチェは、プラトン以来の形而上学を否定し、世界を「本当」(イデア)と「仮象」の世界(現実)に分けず、あくまでもこの「仮象」の現実の世界に止まろうとした。
 本当の世界、つまり超越的な形而上学世界に依拠して生の意味を見出そうとすることは、「ルサンチマン」に支配された弱者が考え出したものに過ぎないとした。”神”なるもの、絶対的なるもの、最高善などは人間が頭のなかで作り上げたものとして否定した。
 
 ニーチェは、本来人間は様々な矛盾を持つ存在であり、ロゴス(言葉、論理)を生み出す基になるのはあくまでもディオニソス的なものであり、それを否定することは、人間の自然性を否定することになると主張する。
 そして、「正しさ」によって絶対化された思想は、世界が本来持つ混沌と無秩序を直視せず、世界が常に整序されたものであると考えたいという心理メカニズムを発動する。
 
 ディオニソス的…混沌からの力、人々を突き動かすもの、近代的な合理性や秩序とは対極にあるもの

【参考文献】
ハンナ・アーレント入門 杉浦敏子