この映画を見て、主人公を取り巻く環境がガンダム的だなと思った。
この映画は歴史的事実を基にした実話ものである。歴史的者が物語を当事者同士だけで進行しても、客にとっては無味乾燥である。だから、良心的な兵士とクエーカー教徒の娘のラブストーリーが必要となってくる。どういうわけか、これがないと映画として成立しない要素であり、これがあることで客は最後まで映画を見ることができる。
ガンダム的だなと思ったのは、主人公には闘う理由はなく、闘おうとしているのは自分以外の誰かが何かの理由があって争い続けている、主人公を取り巻く環境である。主人公は仕方なく闘いに参加している。
客には、すべての事情が分かっている。今すぐに敵と味方が和解すればいいのだ。だが、良心的な自分たち以外の誰かが引き金を引いてしまうことで争いは続けられてしまう。ある登場人物が目的を達成したとき物語は終了する。
シャイアン族が目的を達成して物語は終わるが、今までの登場人物たちの争いが、物語が終わっても客に、人間とは何かを考えさせずにはいられない。
良心的な人は、痛めつけられたこと経験がある。
欧州でポーランド人だからという理由でコサックに殺されかけた兵士の、「俺たちはコサックじゃない」という台詞がいい
欧州でポーランド人だからという理由でコサックに殺されかけた兵士の、「俺たちはコサックじゃない」という台詞がいい
銀河英雄伝説には、互いに闘う理由がある。
side 1 side2
誰か VS 誰か
人物A VS 人物B(この人物どちらかの目的が達成されると物語はピリオドを打つ)
主人公 VS 敵 (主人公対敵は、良心VS無思考性ともいえるかな)
以上の三層が形成される。