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キングコングバンディと猪木のボディスラムマッチみたいになってっけどよぉ by 上田晋也(くりいむしちゅー)

岡田英弘 日本語

岡田英弘によれば、国語は人工的なのが歴史の法則であるという。国家は、国民に対して正しい言葉の使い方を教育する。
 『どこの国においても、国語というものは、天然自然に存在するものではなくて、建国に際して人工的につくり出されるものである。これが歴史の法則で、日本語も例外ではない』
 
 なぜ、日本は漢語、漢文を採用しなかったのか。つまり、どうして日本語を開発したのか。
 『漢語を国語とすることは危険であった。新羅公用語が漢語だったから、新羅と対抗して独立を維持するには、別の途を選ばねばならなかった。それは、漢字で綴った漢語の文語を下敷きにして、その一語一語に、意味が対応する倭語を探し出してきて置き換える、対応する倭語がなければ、倭語らしい言葉を考察して、それに漢語と同じ意味をむりやり持たせる。というやり方である。これが日本語の誕生であった。』
 たとえば、『「天海丹 雲之波立 月船 星之林丹 傍隠所見」
 という歌がある。ここに並んでいる漢字は、
 「あめのうみに くものなみたち つきのふね ほしのはやしに こぎかくるみゆ 」
 と読む。』
 日本が日本語を創作した背景には、漢字、漢文を採用し続けたkoreaが、その基となる生活文化からchina式に染まっていることへの懸念があったからだろう。
 『一方、新羅韓半島を統一したものの、唐の属国状態になり、完全に唐式の文化を採用する。唐は高句麗を滅ぼしたが、北方辺境で変動があり、東方で介入を続けることができなかった。新羅はその後ずっと、漢字、漢文をコミュニケーションの手段として採用し続けた。韓半島では、十五世紀にハングルができるまで国語は成立せず、漢字、漢文文化は変わることはなかった。』
 倭国の独立は、chinaともkoreaとも異なる文化があるということだから、日本としては、ナショナル・アイデンティティをつくり上げるためにも日本文字、日本語の開発は最重要課題であった。日本語によって、日本人が思考し、表現することが、日本に、日本らしい生活文化をつくり上げるからであり、それには漢語、漢文を用いるのではなく、日本人の考え、思いを、そのまま表現できる日本語をつくる必要があった。
 日本語は漢字、漢文を基に開発された。故に、日本語は論理表現が低いと、岡田英弘は指摘する。
 『日本語の散文の開発が遅れた根本の原因は、漢文から出発したからである。
 漢字には、名詞と動詞の区別もなく、語尾変化もないから、字と字のあいだの論理的な関係を示す方法がない。一定の語順さえないのだから、漢文には文法もないのである。
 このような特異な言語を基礎として、その訓読という方法で日本語の語彙と文体を開発したから、日本語はいつまでも不安定で、論理的な散文の発達が遅れたのである。結局、十九世紀になって、文法構造のはっきりしたヨーロッパ語、ことに英語を基礎として、あらためて現代日本語が開発されてから、散文の文体が確定することになった』 
 『日本人は自分たちの散文を、その漢文の直訳体で開発した。漢文を一所懸命に訓読し、読み砕いた。その点では非常な成功を収めたが、そのために、でき上がった日本語は、論理を表現するには不向きなものになった。もともと、漢文自体が、論理を表現するのに不向きなものだったからである。
 日本語には、こうした誕生の事情により、論理表現に弱いという弱点がいつでも残っているのである。』
 『七世紀から日本天皇と宮廷は、歴代営々として独自の日本文化をつくり上げることに全力を注いだ。日本の皇室がいまだに新年の歌会始をやるのは、その伝統である。つまり、大和言葉をつくろうという努力が、ああいう形で残っているわけだ。
 大和言葉というのは、建国以前から自明のものとして存在していたわけではない。漢文に代わる日本独自の文章なり、言葉なりをなんとか早く開発しようと、柿本人麻呂以降、多くの人々が努力した結果、つくり出されたものものなのである。
 じつは日本人は、こうした言葉づくりの努力を明治になってもう一度やっている。近代化を迎えた世の中では、それまでの大和言葉ではまるで役に立たない。江戸時代の公用文では、西欧の新しい事物、観念が表現できないというので、公文書の形式からして一変してしまった。それまでの日本語は草書で書くもので、楷書で書くものではなかった。
 ところが、明治時代になって突然、すべての公文書が楷書で書かれるようになった。明らかに、それまでの大和言葉と絶縁しようという意識の表われである。そして、英語、ドイツ語、フランス語を直訳した新しい漢字の組み合わせが用いられるようになった。江戸時代の日本語とはまるで違う言葉を、意識してつくり上げたのである。』
【参考図書】
岡田英弘 岡田英弘著作集 3 日本とは何か
岡田英弘 1931年東京生。歴史学者。シナ史、モンゴル史、満洲史、日本古代史と幅広く研究し、全く独自に「世界史」を打ち立てる。東京外国語大学名誉教授。
東京大学文学部東洋史学科卒業。1957『満州老檔』の共同研究により、史上最年少の26歳で日本学士院賞を受賞。アメリカ、西ドイツに留学後、ワシントン大学客員教授東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授を歴任。
著書に『歴史とはなにか』(文藝春秋)『倭国』(中央公論新社)『世界史の誕生』『倭国の時代』(筑摩書房)『チンギス・ハーン』(朝日新聞社)『中国文明の歴史』(講談社)『読む年表 中国の歴史』(ワック)『モンゴル帝国から大清帝国へ』『(清朝史叢書)康熙帝の手紙』(藤原書店)他。編著に『清朝とは何か』他。