ぎんゆうしじんになりたい男のブログ

キングコングバンディと猪木のボディスラムマッチみたいになってっけどよぉ by 上田晋也(くりいむしちゅー)

始皇帝と文字

始皇帝と漢字、漢文、漢語
 
 有名な話だとおもうが、china大陸では、各地方間で話しことばによって、コミュニケーションを取ることができない。つまり、互いに相手が何を喋っているのか分からないのである。各地方とは、長江以北、長江以南、福建、広東のことであるが、極端なことを言うと、自分の町から隣町という、さほど離れていない距離でも自分の住んでいる地域の話し言葉が通じないことがあるらしい。
 表向きは、各地方は方言を喋っているから、話し言葉が通じないということになっているが、本来は違う系統の言語であるから、話し言葉でコミュニケーションが取れないのだと、岡田英弘は指摘する。
 『秦の始皇帝は、漢字の性格を変え、漢字文化の運命を決定した。新しい統一を維持するには、共通のコミュニケーションの手段が必要である。その目的で、漢字の字体と使用法の統一が実施された。』
 『漢字が表意文字であるという性格は、話す言葉が違う人々のあいだのコミュニケーションにはきわめて都合がいい。漢字を読む側としては、形声文字だろうが何だろうが、意味さえわかれば、自分の言葉を当てて読めばいい。つまり、始皇帝の統一までは、同じ字でも、地方によってまったく違う音の言葉で読んでいたはずだし、また同じ地方でも、何通りもの、意味の同じ言葉で読んでいたはずだ。(後略)』
 始皇帝は政治の力で強制的に一字一音節に統一し、色々な書き方があった字体を統一した。さらに漢字の字数も三千三百字に制限した。それは、せっかく統一した帝国内部でのコミュニケーションの混乱を防ぐためであった。しかし、始皇帝の一字一音節の統一が思わぬ弊害をもたらす。
 『漢字の読み音が一字一音、一音節に限られた結果、読み音は意味のある言葉ではなくなって、その字の名前というだけのものになった。言い換えれば、読み音は、漢字の意味を表わす言葉ではなくて、それを聴いて記憶から漢字の形を呼び出すための手がかりという性質のものになった。ここで文字と言葉の決定的な乖離が起こったのである。』
 さらに恐るべきことがある。始皇帝が定めた一音節の字音は、言葉の意味に対応しない読み音、さらに一音節の字音には意味のニュアンスの変化による語尾変化が一切ないために、その漢字がどの品詞なのか区別がつかないことになった。
 『(前略)漢字で綴った漢文を外国語に訳すと、同じ漢字を名詞にも、動詞にも、形容詞にも訳せる。品詞の区別がないとすると、文章のなかに、最初に主語の名詞が来て、次に動詞が来て、動詞のあとに目的語の形容詞が来るといったような、一定の語順というものがないことになる。つまり、漢文には文法がない。』
『漢文に文法がなく、それを構成する漢字の音が意味のある言葉でないとすると、どうやって解読できるのか、という問題が起こる。これについては、ベルンハルド・カールグレンというスウェーデン言語学者が、「漢文は、読む前に全体の意味がわかっていなければ、一つひとつの漢字の意味もわからない」と指摘している。解決の手がかりは、厖大な量の古典の暗誦である。』
 漢文を読み書きするためには大量の古典を暗記する必要があった。読み手が、厖大な量の漢字、漢字の組み合わせからなる単語、漢文を覚えているからこそ、書き手が書いた漢文が何を伝えようとしているのかが、理解できるのである。
 『漢字で綴った漢文は、どの特定の話し言葉にも基づいていない分だけ、なおさら違う言葉を話す人々のあいだのコミュニケーションには有効だった。』
 『それでも、この文字と言葉の乖離がなかったら、シナのアイデンティティも成り立たない。だれの言葉を写したものでもない漢字・漢文がコミュニケーションの唯一の手段だからこそ、シナの統一が保てるのである。その反面、文法のない漢文は、漢人の論理の発達を阻害したし、また表意文字である漢字の特性として情緒のニュアンスを表現する語彙が貧弱なために、漢人の感情生活を単調にしたことは否定できない。』
 実際に人々が話す言葉の構造とは関係のない漢文は、文字通信専用の言語であった。行政上の情報のやりとりが主だった内容であり、情緒は入り込む要素は少なかった。
 『そういうわけで、シナでは紀元前三世紀から、文字と言葉は別物であり、漢文以外には漢語などというものは存在しなかった。話し言葉をそのまま写して文字にするという観念は、十九世紀末、日清戦争のあとで清国留学生が日本で発見したもので、これがきっかけになって一九一八年、中華民国の教育部が注音字母という、カタカナをまねた表意文字を公布したのが、口で話して耳で聴いてわかる中国語というものの開発の第一歩になった。』
【参考図書】
岡田英弘 岡田英弘著作集 4 シナ(チャイナ)とは何か
岡田英弘 1931年東京生。歴史学者。シナ史、モンゴル史、満洲史、日本古代史と幅広く研究し、全く独自に「世界史」を打ち立てる。東京外国語大学名誉教授。
東京大学文学部東洋史学科卒業。1957『満州老檔』の共同研究により、史上最年少の26歳で日本学士院賞を受賞。アメリカ、西ドイツに留学後、ワシントン大学客員教授東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授を歴任。
著書に『歴史とはなにか』(文藝春秋)『倭国』(中央公論新社)『世界史の誕生』『倭国の時代』(筑摩書房)『チンギス・ハーン』(朝日新聞社)『中国文明の歴史』(講談社)『読む年表 中国の歴史』(ワック)『モンゴル帝国から大清帝国へ』『(清朝史叢書)康熙帝の手紙』(藤原書店)他。編著に『清朝とは何か』他。