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キングコングバンディと猪木のボディスラムマッチみたいになってっけどよぉ by 上田晋也(くりいむしちゅー)

岡田英弘によるchinaの歴史と歴史観


史記によって決定されたchinaの歴史及び歴史観
 
 史記とは、紀元前100年前後に司馬遷が著した歴史書である。その記述は、最初の「天子」とされる黄帝に始まって、著者自身の仕えた前漢武帝の治世にまで及んでいる。
 『「史記」は、シナのいわゆる「正史」の最初のものであり、その体裁と内容が後世の漢人の歴史意識と漢人意識を決定した。』
 歴史とは、国家のアイデンティティであり、最初の史書は、後世に至るまでの考え方の基準になるからである。つまり、「今までが○○してきたんだから、これからも○○しよう」というように。
 『司馬遷の「史記」の最初に置かれているのは、「五帝本紀」篇である。「五帝」というのは、黄帝に始まる五人の神話上の君主だが、この篇の内容は、この五人が「天子」(皇帝の別名)となって、相次いで「天下」(世界)を統治した、となっている。
 司馬遷がここで「天下」と呼ぶ地域は、彼が仕えた前漢武帝の支配が及んだ範囲のことで、現代人から見れば「天下」はシナの同義語になる。しかも黄帝の事績として司馬遷が叙述することがらは、すべて現実の武帝の事績と重なる。』
 『神話の黄帝と現実の武帝とを繋ぐものは「正統」という観念である。これを司馬遷が採用してから、「正統」シナ文明の歴史観の根本になった。シナ文明の歴史観は「正統」の歴史観だ。「正統」の歴史観では、どの時代の「天下」(シナ)にも、天命を受けた「天子」(皇帝)がかならず一人いて、その天子だけが天下を統治する権利を持っている。その「正統」は、五帝の時代には「禅譲」によって、賢い天子から賢い天子へと譲られて伝わった。』
 『「史記」で次の「夏本紀」「殷本紀」「周本紀」「秦本紀」が扱う時代になると、天子の位は「放伐」、すなわち追放や征伐によって奪い取られ、勝ったほうに天命が与えられ、負けたほうから天命が取り去られる。これが本来の意味の「革命」で、「革」は「取り去る」という意味である。
 それまでの「天子」が天によって「革命」されて、新たに天命を受けた君主が「正統」の「天子」になる。こういう過程が夏から殷へ、殷から周へ、周から秦へと代々繰り返されて、最後に司馬遷の仕える前漢武帝が、天命を引き継いだ「正統」の「天子」として、天下を統治している。司馬遷が「史記」で言いたかったのは、要するに「武帝こそが正統の天子だ」ということなのだ。
 司馬遷が「史記」で書いているのは、皇帝の「正統」の歴史である。世界史でもないし、中国史でもない。第一、「中国」という国家の観念も、「中国人」という国民の観念も司馬遷の時代にはまだなかった。
こういう観念は、十九~二十世紀の国民国家時代の産物である。』
【参考図書】
岡田英弘 岡田英弘著作集 4 シナ(チャイナ)とは何か
岡田英弘 1931年東京生。歴史学者。シナ史、モンゴル史、満洲史、日本古代史と幅広く研究し、全く独自に「世界史」を打ち立てる。東京外国語大学名誉教授。
東京大学文学部東洋史学科卒業。1957『満州老檔』の共同研究により、史上最年少の26歳で日本学士院賞を受賞。アメリカ、西ドイツに留学後、ワシントン大学客員教授東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授を歴任。
著書に『歴史とはなにか』(文藝春秋)『倭国』(中央公論新社)『世界史の誕生』『倭国の時代』(筑摩書房)『チンギス・ハーン』(朝日新聞社)『中国文明の歴史』(講談社)『読む年表 中国の歴史』(ワック)『モンゴル帝国から大清帝国へ』『(清朝史叢書)康熙帝の手紙』(藤原書店)他。編著に『清朝とは何か』他。