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キングコングバンディと猪木のボディスラムマッチみたいになってっけどよぉ by 上田晋也(くりいむしちゅー)

漢代の俠

 歴史的「俠」 劉邦、漢楚軍談、史記 
 
 漢代の「俠」
 井波律子は、始皇帝政権に反旗を翻した、劉邦を中心とした蕭何 夏侯嬰 樊噲 周勃ら反乱軍メンバーを結びつけていた紐帯を「俠」の精神であるとする。
 春秋時代の刺客・遊俠・食客らの単独で果敢な行動から、秦王朝末期から漢代になると苦楽を伴にする信頼関係の厚い武装集団の結びつきに「俠」をみることができる。
 『時には、いかにも巷の遊侠あがり、辟易するような下品で粗野な面をむきだしにする劉邦のもとに、この三人の人傑をはじめ、多くの有能な人材が結集したのは、彼に過去の時代をくつがえす荒々しいエネルギーと、配下の能力を見ぬき、これを活用しようとする「度量」あるいは「度胸」があったためである。根っからの庶民の多い劉邦グループのなかでも、もっとも巷のはぐれ者たる遊侠の精神を体現していたのは、リーダーの劉邦自身だったともいえる。』
 その誰彼構わず受け入れる度量はやがて「鴻門の会」において、劉邦が絶対絶命の危機に陥る際に、その身を助けるきっかけをつくることになる。
 『(前略)ここで劉邦の窮地を救うのに、もっとも重要な役割を果たしたのは、項伯である。彼は項羽の叔父でありながら、かつて自分を救ってくれた張良の恩義に報いるために、終始一貫、身体を張って張良の主君劉邦を守りぬいた。このとき項伯は、身内であり、主君である項羽よりも、恩義ある張良との関係性を重んじ、行動に踏み切ったのである。これまた、決然たる「俠」の精神というべきであろう。』
 主君の命令に従う「忠」よりも、自分が受けた恩に報いるのが「俠」である。「俠」は「忠」に反することもある。
 
 『秦末の乱世において、劉邦を中心とする遊俠軍団は反逆のエネルギーを結集し、新しい時代のを切り開く前衛として縦横に活躍した。しかし、前漢王朝が軌道に乗り、平穏な時代が到来すると、権力側にとって、民衆に支持される義侠心あふれた遊俠は危険な存在と化し、排除すべき対象となった。こうして時代の超過とともに、おおかたの遊俠は矜持高い「俠の精神」を失って退廃し、権力の補完装置となるケースも増加した。』
 
 司馬遷は、「史記」遊侠列伝において、「時に当世の文罔に逆らう扞うと雖も、然れども其の私義は廉潔退譲にして称するに足る者有り」として、朱家、田仲、王公、劇
孟、郭解を取り上げている。
 
 作者は、刺客たちから 俠客は、単独であり、自分と相手が交わした約束を、場合によっては自分の財宝・身命を賭した果敢な行動であり、四君子劉邦からは、俠客のリーダーは、多くの食客を抱える度量が必要であり、世話になった食客頭目は紐帯で結ばれ、食客は受けた恩を必ず返さなくてはならない、と考えた。
 
【参考図書】
井波律子 中国侠客列伝 講談社学術文庫
※、一諾千金 漢代の希布は信義に篤いことで知られ、その承諾を得ることは黄金千斤よりまさるとされた故事から
 俠→侠
 
 俠客は爽快な倫理と仲間同士の信義を矜持とする。これは、表社会が窮屈で正されない不正に満ちているからである。正しさがわかっているのに正されないからである。
俠客だけは、不正を捉えて、正す実行力をもっている。
 双全とは、対をなすものが両方ともそろっていること ex.文武双全、父母双全
 つまり、忠義双全とは、忠と義という相反するものがそろっていることである。
ある剣道家の著作に書いてあったとおもう。
 人間だけが誰かと約束する生き物である。
 人間の生物の特徴として、約束というものがある。生存の有無を問わず、人間は、他者と約束する。
 約束を守ること、果たすことで人間らしさが証明される。約束を破る人は、信用が置けない人間であるとされ、相手にされない、無視、存在の否定につながることもある
。但し、守り難い約束も存在する。
 人間としての教育は約束を守ることを教えるべきといった、教育論にしていたような、、、、