ぎんゆうしじんになりたい男のブログ

キングコングバンディと猪木のボディスラムマッチみたいになってっけどよぉ by 上田晋也(くりいむしちゅー)

オードリーのオールナイトニッポン2021.02.13.

オードリーのオールナイトニッポン2021.02.13.
…こんな感じでした。

 

OP 13日夜遅く、福島と宮城で震度6強の激しい揺れを観測した地震があった。
来週、L-1ぐらんぷりを開催します。
審査員はサトミツ、青銅さん、春日。そしてリスナー投票
ガチ
ネタ番組「漫才JAPAN」が放送されます。
あちこちオードリーに一年ぶりに出演したクリーピーナッツ
テレビはニューカマーの方が向いてる。
はじめての「黄金伝説」
おじさんの気持ち
慣れ
若林、銀座博品館でロケをした。
春日、93が電気圧力鍋を欲しいと言っている。🚩
(企)「オードリーの代表作になるテレビ番組企画案は?」
 次回から「その場から消えたくなった瞬間」です。
ED ミニ四駆

 

 

 

L-1は芸歴10年以上じゃないと出場できない。

ずっとフレッシュな人が残る

博品館

株式会社博品館(はくひんかん)は、日本小売商。主に、「博品館TOY PARK」の店舗名で玩具の販売を行っている。

 

本店東京都中央区銀座8-8-11。地下1階 - 4階が玩具売場、5・6階がレストラン街、8階には博品館劇場が設けられている。1986年には、日本最大の玩具店としてギネスブックに掲載された。

博品館 - Wikipedia

 

石毛

西武ライオンズの石毛 宏典のこと

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石毛 宏典(いしげ ひろみち、1956年9月22日 - )は、元プロ野球選手内野手)・監督野球解説者

日本に於ける独立リーグの創設者・運営者としても知られ、IBLJを設立し、初代代表取締役を務めた。愛称はミスターレオハチ千葉県旭市出身。

現役時代は主に西武ライオンズで活躍し、1996年福岡ダイエーホークスで現役を引退した後に、同球団の二軍監督・オリックス・ブルーウェーブの監督などを経て、2004年四国アイランドリーグ(現:四国アイランドリーグplus)を創設し、2009年創設の関西独立リーグ (初代)でも、最高顧問を務めた。

 

1981年、ルーキーイヤーから遊撃手として開幕スタメン出場し、ロッテの落合博満首位打者争いを演じるなど活躍した。長嶋茂雄以来の、新人打者として規定打席に達しての打率3割を達成し、新人王を獲得した。

1982年、西武監督に就任した広岡達朗春季キャンプで「お前、それでよく新人王が獲れたな」と挑発を受けた。このことを広岡は「守備はそう上手いと思わなかったが、打撃で活躍して意気揚々としていた。もう少し上手くなれる選手だと思ったから、あえて挑発した。また、セの原辰徳かパの石毛かと言われていたので、『今、人気からすると原のほうが上だが、その実力では力でも勝てない。もっと勉強しろ』とも言った。」と振り返っている[3]

このことに反発した石毛は、最初は広岡の言うことを素直に聞かなかったが、石毛のライバル選手に広岡が手取り足取り教える姿を見るうちに、「監督、僕にも教えてください」と率先して教えを受け入れるようになっていった[4]。以降、常勝西武のチームリーダーとしてチームを引っ張り、読売ジャイアンツとの1983年の日本シリーズでは、第6戦で1点ビハインドの9回裏1死満塁で同点打を放つなど活躍した。

1986年は打撃三冠王落合博満や、高卒新人記録を次々と塗り替えた清原和博らを抑え、パ・リーグMVPを獲得した。膝の故障やチーム事情から、1987年に遊撃手から三塁手コンバートされるが、日本シリーズではセ・リーグ優勝チームの本拠地での試合の場合は指名打者が使えない事もあり、その後もたびたびショートを守る事になる。中日との1988年の日本シリーズでは全5試合で遊撃手としてフル出場し、第1戦はセ・リーグ最多勝のタイトルを獲得した先発の小野和幸からソロ本塁打、第3戦は山本昌広からソロ本塁打タイムリーヒット、日本一を決めた第5戦では初回小野からタイムリー2塁打、1点リードされた9回裏、リリーフエース郭源治からバックスクリーンへ起死回生の同点による昭和時代の最後の本塁打を放つなど活躍し、シリーズMVPを獲得した。この年オフには、パ・リーグ野手として初の1億円プレイヤーになる。

現役時代の前半は主にトップバッターとして活躍していたが、辻発彦の成長、オレステス・デストラーデの入団などのチーム事情もあり、現役時代後半は6番を任されるようになる。ゴールデングラブ賞の常連でもあり、通算成績で200本塁打を放ちながら200盗塁・200犠打を決めているように、走攻守三拍子揃った選手でもあった。

 

石毛宏典 - Wikipedia

 

大石大二郎

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大石 大二郎(おおいし だいじろう、 1958年10月20日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手内野手)、監督、野球指導者、解説者評論家1987年から1990年までの登録名は、大石 第二朗(読みは同じ)。

 

大石大二郎 - Wikipedia

 

近鉄バファロー

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ロゴマークを制作したのは岡本太郎、このロゴは近鉄物流のマークとしても使われた。

大阪近鉄バファローズ(おおさかきんてつバファローズ英語: Osaka Kintetsu Buffaloes)は、1949年から2004年まで存在した日本プロ野球球団である。パシフィック・リーグに加盟していた。

 

大阪近鉄バファローズ - Wikipedia

 

 

ミニ四駆

ミニ四駆(ミニよんく)は、タミヤが発売している小型の動力付き自動車模型である。小型電動機(モーター)を搭載した四輪駆動の模型で、単3型乾電池を動力源として走行する。モーターと電池はスイッチで直結されており、スイッチを入れたら全開出力で前進し、軌道上で走行させる仕様である。軌道が固定されているのはスロットカーと共通であるが、走行中の出力調整は出来ないため、走行したら技能介入は全く出来ない。タミヤ登録商標(日本第2168392号ほか)であり、一般名称では無い。韓国では「ミニカー(미니카)」の名称で発売されている。

 

レーサーミニ四駆の登場と第一次ブーム

ハイパワーギア設定のミニ四駆は子供達にとっては「遅い」というイメージがあった。そこでホイールベースやギヤ比をハイスピード設定に変えたり低重心化等をして「レーサーミニ四駆」が売られるようになる。

第1弾車種にはオフロードタイプで人気が高かった「ホットショット」が選ばれた。当時、RCカーはホビーとしては高嶺の花で、同じ小学生の友達が遊んでいるのを指を咥えて見ているという状況も多かったため、RCカーのホットショットのJr.版として企画された。

当初は「走らせられる場所が無い」という欠点も生じたが、スタッフの一人がバケツの壁を走らせる事を思いつき、そこからレーサーミニ四駆用のコースを設計する。このバケツでの遊び方は後に「サイクロンループ」という縦置きの円形コースを何回走れるかという競技にも発展した。さらに全てスナップフィットで組み立てられるためにモーターギアホイールタイヤシャフトなど全て交換可能なため、カスタマイズ用のオプション部品「グレードアップパーツ」も売られるようになった。

しかし、それのためのコースを設計しても今度は簡単にコースアウトしてしまうという問題があった。これを解決したのは小学生で、その子供はバンパー部に洋服のボタンを釘止めしてローラーにし、コーナリング時のコース側壁との接触をスムーズにしていた。これをヒントに「ガイドローラー」が発売され、現在売られているオンロードタイプのミニ四駆には標準搭載されている。また別の小学生は待ち針を何本か束ねてバンパーに立て、車体全高よりも高い位置でコース側壁に接触させることで車体を転覆しにくくした。これも「スタビライザーポール」としてグレードアップパーツとなった。このようにミニ四駆は子供達がアイディアを出し合って能力を向上させ、またタミヤがその思いに応えブームとなった。このようにユーザーのアイディアがパーツになる流れはマスダンパーのように、第二次・第三次ブームでもいくらか見られる。

1987年にミニ四駆を題材にした漫画『ダッシュ!四駆郎』(徳田ザウルス)が『月刊コロコロコミック』(小学館)にて連載されますます人気は上昇、1988年夏からはミニ四駆全国選手権大会「ジャパンカップ」が開催されるようになった[2]小学館と共同のメディアミックス戦略が人気に拍車をかけることになる。タミヤは以前、ラジコンカーでの商業戦略で自社主催レースやタミヤ宣伝部社員扮する独自キャラクターを打ち出して製品アピールを行っており、テレビ番組でもテレビ東京系で『タミヤRCカーグランプリ』が放送された。ミニ四駆でもこの手法を利用し、ラジコンカー商業戦略時のキャラクター「タミヤの前ちゃん(前田靖幸)」「ラジコンマン」「カニックマン」だけでなく、改造のアドバイスや関連イベント案内を行うミニ四駆専門商業広報キャラクター「ミニ四ファイター(通称:ファイター)」もデビュー。この「ミニ四ファイター」の活動は『コロコロコミック増刊号』などで漫画家おちよしひこにより『GO!GO!ミニ四ファイター』の題で漫画化された。ファイターはブームに乗って前述の「前ちゃん」と組み、CDデビューまで果たした。こうして盛り上がったブームに乗って大会が各地で多数開かれるようになる。更に『ダッシュ!四駆郎』はアニメにもなって社会的認知も高まった。しかし『四駆郎』のアニメが2クールという短期で打ち切りのように終わってしまったことにより、ブームの終焉と捉えた(誤解した)玩具屋界隈が、仕入れや取り扱いを縮小したことで、本当にブームの終焉のきっかけを作る。実際には子供達が飽きて視聴率が悪く打ち切られたのではなく、製作(広告代理店)側の都合によるものだった。しかし、アニメの突然の終了が第一次ブームの終了の引き金であったことは事実であった。

そのような不運もあり、1991年ごろにはブームもかなり下火になっていた。当時はタミヤ公認のミニ四駆大会には中学生まで出場することが出来たが、経年によって、ブームになった当初に主要層だった世代(1975年 - 1978年生まれ)からの興味が薄くなってしまったこと、バブル崩壊による経済的問題や受験戦争の過熱などが要因としていわれる。その後、更なる高速化を目指して「スーパーミニ四駆シリーズ」が発売されるも、子供の「模型離れ」による人気低下に歯止めはかけられなかった。

 

第二次ブーム

1994年には、タイヤをカウルが覆う形のボディを採用した「フルカウルミニ四駆シリーズ」が発売された。さらにフルカウルミニ四駆を題材にした漫画『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』が『コロコロコミック』に掲載され、ミニ四駆は再び子供達の注目を集めた[2]。スーパーミニ四駆と同じシャーシを採用しているため基本性能は変わらないものの、その独特のボディデザインは子供達の心をとらえた。停滞期にラインナップを強化したグレードアップパーツも助けとなり、第一次ブーム世代の引退に伴う世代交代で再び人気が再熱した。当初は読み切り漫画だった『爆走兄弟レッツ&ゴー!』も、非常に好評だったため後に連載化、アニメ化、ゲーム化、映画化までされ、第一次ブームと同様に強力なメディアミックス戦略がブームをさらに加速させた。1ヶ月ごとにニューマシンが登場し、グレードアップパーツも次々と高性能なものが発売され、子供達の気持ちに必死になって応えようとするタミヤの気合が存分に感じられた。当時、各地の模型店玩具店では最新マシンが発売されると即品切れ、次回入荷予定が未定となることもしばしばだった。

その後、走らせるわけではない魅せるためのディスプレイタイプのミニ四駆リアルミニ四駆シリーズ」や、より高速走行が可能になった「エアロミニ四駆シリーズ」「マイティミニ四駆シリーズ」などの派生シリーズが生まれた。

ちょうどこの頃から各地の模型店玩具店にてサーキット常設店が増え、店頭主催による「街角レース」と呼ばれるレースの開催が活発化していた。タミヤ公式レースのジャパンカップさながらの巨大なコースを用意して市民体育館などを借りてレースを行う店も多く、公式レースなど開催されない地方ではかなり盛況だった。また、『TVチャンピオン』(テレビ東京系)など、多くのテレビ番組にてミニ四駆の特集が組まれた。このブームに合わせて、小学校理科教材にもミニ四駆に似た形状のものが現れた。

他社からも再びミニ四駆の類似品が発売された。例を挙げると、青島文化教材社からはアニメ『サイバーフォーミュラ』に登場するレーシングカーをモデルにした「テクニ四駆」や、アリイの「超スーパー四駆」という類似品が販売されている。しかし、マシン性能の上昇からか第一次ブーム期よりも参入メーカーは少なく、むしろマシン自体より、主に性能アップを主眼においたパーツ群を発売するメーカーが多かった。モーターは前述のとおり多くのメーカーから発売され、その性能の高さゆえ、レギュレーション無制限の街角レースが多く開催されていた時期もあった。一部の主催者によってはタミヤ公式ルールどおりのレースと無制限のレースを分けて行う場合があり、無制限のレースの参加費がやや高めであり、場所を借りて行う大会では特に高額となる傾向があった。これらの無制限マシンは俗に「フリースタイル」と呼ばれ、タミヤ製品とはまた違った道を歩むことになった。

この90年代に起こった第二次ブームでは1995年3月期で約200億円、1997年3月期の時点で480億円の売上高を達成するが、1998年3月期で200億円台、1999年で200億円を下回り下降していく[9]。『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』のTVシリーズは1998年末、漫画も1999年10月に終了。ジャパンカップも1999年で終了し、第二次ブームは終焉を迎えた。そしてミニ四駆のレース大会の模様を紹介していた『タミヤRCカーグランプリ』も1999年3月で終了し14年半の歴史に幕をとじ、2000年にはタミヤ公式レースもほとんど開かれなくなった。この第二次ブーム終了後、レーサー自身の年齢上昇という避けられない問題と、テレビゲーム機の高性能化を筆頭に遊戯王OCGベイブレードなどのミニ四駆以外の玩具などが人気を集めている事などにより、ミニ四駆人気は下火となった。第二次ブーム終了後しばらくは派生商品であるダンガンレーサーラジ四駆に主力を譲り、ミニ四駆の扱いは大幅に絞り込まれた。

 

ミニ四駆 - Wikipedia

 

エンペラー(ダッシュ1号 )

ミニ四駆のメディアミックス展開として、コロコロコミックミニ四駆を題材にした漫画「ダッシュ!四駆郎」が連載された。

主人公・日ノ丸四駆郎のメインマシンがダッシュ1号ことエンペラー

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他にも主人公たちのマシンとして、

ダッシュ2号バーニング・サン、ダッシュ3号シューティング・スター、ダッシュ4号キャノン・ボールダッシュ5号ダンシング・ドールなどがある。

ダッシュ!四駆郎 - Wikipedia

 

 

ピッペン

スコッティ・ピッペン

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NIKE AIR MORE UP TEMPO

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クーコッチ

トニー・クーコッチ

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反省して靴を履く

 

 

 

おまけ

 


【激レアさん】真相直撃SP!弘中の恋愛事情を若林が追求!/2021.2.15放送

 

 

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