ぎんゆうしじんになりたい男のブログ

キングコングバンディと猪木のボディスラムマッチみたいになってっけどよぉ by 上田晋也(くりいむしちゅー)

時代劇を欲しがっていたのは

 明治日本は近代国家制度を採用した。列強と同じ国家形態を執ることで、欧米諸国と同じ国力を身に付け押しつけられた不平等条約を改正するためであった。
 自発的、内在的ではない日本の近代国家制度は、日本の歴史に基づかない新しいルールを多く定めていった。法律制度においては、徳川幕府に代表される武家社会の法度から近代法体系を導き出すのではなく、主にフランス、ドイツの法典を基に法律が制定されていった。
このとき、日本の歴史によって培われたルールは退けられ、それが近代人には的確であれ、日本人の生活実態にはそぐわないルールが課せられたのだった。
 小室直樹氏も、ここに日本人と日本の近代法体系の距離感の遠さの原因があるとしている。
 たとえば、AとBという男同士がケンカをしていたとする。従来であれば、ケンカをしたどちらも悪いもの、という喧嘩両成敗伝統的価値観で2人は裁かれる。
 しかし、近頃ではケンカをした場合、先に手を出した方が悪いことになる。
 こういった、日本人の伝統的な価値観に基づいて対処することが法律によって許されないこともある。
 この近代国家制度の移植による歪みは日本の社会問題にも大きな影響を与えているのではないだろうか。
 
 テレビの時代劇には、近代法体系によって行動を規制されない日本人の姿が描かれる。彼らは伝統的価値観に従っていればよく、日本人として行動することが許されている、といってよいのではないか。
 諫言によって身を正すことのない悪老中や私腹を肥やす商人は、やがて正当な武力行為によって制裁を受けることになる。悪だくみに加担してしまった人も情状酌量の余地があれば許されることもある。
 ここに爽快さを覚えるのは日本人の伝統的な正義が行われているからである。日本の伝統的な価値観に従うことができない、法的には罪に問えないといった、日本人と日本の法律の歪みから生じる不満を解消するためにテレビの時代劇は観られていたのだろう。
 
 注、民法典論争とは、フランス革命の後、自国の近代化を計るためにフランスは近代自然法の立場からナポレオン法典民法典)を制定した。
   当時のドイツもフランスに倣って、ドイツ民法の近代化を計る動きがあった。これに対し、ベルリン大学教授ザヴィニーは、「ある民族の法律は言語と同じく、その
民族の固有の文化のなかから内在的に発生する歴史的な所産であり、社会契約説というような合理的な基準によって自由に作ったり廃止したりできるものではない」とした。
   近代日本においても、1890年(明治23)に作られた民法の内容が自由主義的で日本の家族制度を破るものとして穂積人束(1860~1912)の「民法出でて忠孝亡ぶ」をはじめとした批判があった。
   これが、いわゆる民法典論争である。 
   
 漫画「ナニワ金融道」は日本人と日本における法律意識の希薄さを描いた作品である。
   主人公は情に流されて、書類にサインをしてしまい連帯保証人になってしまう。そこから、主人公は肩代わりしてしまった借金の返済のために、法律を駆使して金融業に励むという物語。   

【参考文献】
『日本国民に告ぐ』 小室直樹