ぎんゆうしじんになりたい男のブログ

キングコングバンディと猪木のボディスラムマッチみたいになってっけどよぉ by 上田晋也(くりいむしちゅー)

1、序章

序章:ニュートンの「光学」がもたらしたもの
 高山宏は、英文学ひとつを考えるにしても、それを生んだ時代精神や世界認識や社会や哲学といった背景を考慮する必要がある、とする。
 つまり、文学作品の背景にある文化史を研究して、はじめて、どのように文学史が現代に向けて進んできたのかを把握できるのである。
 本書では、十七世紀後半から二十世紀の英文学を中心に、当時の西欧社会がどんな時代精神や世界認識をしていたのかを探求することで、ばらばらに分類しがちな十七世紀から現代までの英文学をひとつに”つなぐ”ことを試みている。
 
 「光学」
 ニュートンはどんな影響を英文学に与えたのか。
 ニュートンの著した「光学」によって、人は外界にある光を網膜によって”もの”の形を認識していることが分かった。「光学」の読者の多くは文学者であった。当時は、文学者=詩人であったので、詩の内容が「光学」以前、以後で様相が異なることになった。十八世紀は、ニュートンの「光学」の影響下にある詩人であふれることになった。
 『十七世紀の詩人が、きょうぼくが見る彼女の姿は、何てみずみずしいのだろうとうたっていたとする。それが十八世紀になると、ぼくの網膜に上下逆に結像する彼女の姿は……といったことになる。
 今日、どんなに英語のできる人でも、「網膜」が「レティナ(retina)」と即答できる人がどれだけいるだろう。ところが、当時は「レティナ」という言葉はよく知られていた。「光学」を読んだ詩人は、網膜上に逆さに映るものが世界だという認識で試作をするから、それまでの詩とは、まったく性格を異にした詩が登場して当然である。』
 十七世紀には、光と色の区別が進んできた。
 『十八世紀の文学者は、こぞってニュートンを読んでいたので、虹の光がなぜ七色なのか、太陽光がなぜ七色に分光されるのかをそれなりに議論できた。結果、色と光について新知見を持ったから、色の描写の詳細化からはじまって、形態の描写などの精緻化へ、いわゆる「ニュートン詩人たち」のスペクトル象徴好みへつながってゆく。』
 『つまり、同じ「赤」でも、レッドという単語だけだったのが、ヴァ―ミリオン、スカーレットなど、赤の濃度の差異を表現する単語がどんどんふえていく。最終的には、色だけではなく、あらゆる形態、性質を意味する形容詞、副詞のたぐいが、この時期に倍増し、英語の質そのものが変わった。
 要するに、それまではアクションというか、行為、行動を表す動詞が中心だった。十七世紀の詩を読むとよくわかる。今日、我々が「形而上派の詩」といっているものなど、文体論的にいえば、動詞が多いというのが特徴である。
 「僕は君を愛する。君はそれにこたえてくれる。二人の心は手を取って走り始める……」といったぐあいだ。動詞の多用で、詩がアクションのなめらかな連続でどんどん進行していく。』
 自分の眼に映るものを描写するという態度は、ニュートンの「光学」よりはじまるのだろうか。
 「グランドツアー」
 十七世紀から十八世紀にかけてイギリス人は、グランドツアーという、古代ローマの遺跡群とルネサンスの国イタリアを目指した旅を行う。この旅で、彼らは旅行先の風景を観るのではなく、ただひたすら、現地の美術館巡りに時間を費やすのである。
 当時イギリスは視覚分化では遅れた立ち位置にあったので、
 『風景を見る見方の先進たるイタリアで「絵」の魅力を知り、それをモデルにして外の世界を「風景」として見るようになり、さらにそもそも「風景」とは何だろう、漠然と見ているものが「風景」なのだろうかと考えるようになる。風景(landskip)という単語は、十八世紀にものすごく使われ始める。後には”landscape”の綴りが普通になる。
 ただ目に入る(see)だけではなく、極端にいえば、あるイデオロギーを持ち、ある育ち方をして、ある偏見を持った人が、周りの世界をこんなふうに見てほしい、見えるはずだと思い込むことで、そのように見えてくるものとして風景を発見するのである。その時、世界はバイアスがかかった。世界そのものではなく世界「像」なのだが、「像」の快い作り方のモデルに「絵」がなった。今なら「模像(シュミラクル)」の名で呼ぶものになった。十八世紀英文学は美術史、そして美学の知識なくしては成り立たない。「美学(aesthetics)」というもの自体が十七五〇年代に生まれている。
 風景というのは、見る(see)ではなく、観て(look at)、はじめて形ができる。一種人間の心理そのものが外に投影されていった何かではないかという観念が一八世紀に起きる。』
 「ピクチャレスク」
 『グランドツアーこそが、十八世紀のイギリスにおけるこうしたものの見方の最大の発明を生んだ。そういう見方と、その生みだした結果を総称して「ピクチャレスク(picturesque)」という。』
 「ロマン派」
 ロマン派とは、
 『十八世紀末に十八世紀の精神的産物をすべて整理する形で存在する「超」運動体である。』
 イギリス人は、ニュートンの「光学」によって実際の光景を描写しはじめた。そして、ピクチャレスク美学によって、世界を気持ちいい「風景」に「構図」化する技術の練習を始める。ロマン派はそうした快楽の練習場と化していった。
 ロマン派が提唱する「自然に帰れ」の「自然」自体がピクチャレスク美学によって作られた人工的な「像」であったのではないか。

【参考図書】
高山宏 奇想天外・英文学講義 講談社選書メチエ