ぎんゆうしじんになりたい男のブログ

キングコングバンディと猪木のボディスラムマッチみたいになってっけどよぉ by 上田晋也(くりいむしちゅー)

帰納法 こういうことだったのかな…

帰納法とは個々の事実から原理・原則を導きだすこと、と辞書に書いてある。
 なぜ、近代哲学者は帰納法は現実に起きたことから原理・法則を導きだそうとするのか。
 それは、中世の教会が経典に定められたことを疑いもせずに、教会の教義を人々に強制してきたことへの反省である。
 当時、権力の担い手であった教会は世の中の現象を教義に則り因果を説明した。近代哲学者たちは、もし教義が真の知識でなければ、それを人々に強制すること自体が誤りであると考えた。
 だから、近代哲学たちは、予め定められた原理・法則から演繹して現象を説明するのではなく、個々の事実からあらためて原理・法則を導き出す必要があったからである。
 真理は教会が定めるものではなく、自由に人々が個々の事実から原理・法則を導き出すものだからである。その論証方法が、帰納法だったのである。
 ただし、帰納法で説が論証されれば正しいのか、というとそういうわけではない。あくまでも、信頼度が高い手段に過ぎない。
 
 注、帰納法で結論を出したのちに、その結論から演繹してものごとを説明する方法がよく執られる。
 
 演繹法…たとえば、aがbならばcである、##だから%%である、だから&&は$$である、という論理の数珠つなぎで結論を出すこと。
 
帰納法…前提 a1はpである。a2はpである。 結論 お          そらく、すべてのaはpであろう。          
     
      仮説 aがある。hをaと仮定するとうまく説明できる。aはhであろう。