ベーコンは中世の古い伝統的な考え方ではなく、人間の理性に対する信頼に基づいた人間と自然の探求を重んじた。彼は古い考えを根こそぎ退けて新しい学問的方法を確立した。それは、科学的思考と呼ばれた。
自然法則を把握すれば、自然を支配できると考えたのはベーコンなどの科学思想家である。彼らは帰納法と呼ばれる論証の仕方で自然の中にある法則を発見していった。
ベーコンは科学的な発想をするには、偏見を取り除くべきであるとし、偏見には4つの型があるとした。
一、種族のイドラ…民族に共通な思い込みで、例えば、「雷は神様が怒っている」などのこと。
二、洞窟のイドラ…各個人の偏見、思い込み。
三、市場のイドラ…言葉づかいの間違いによる思考の偏りのこと。
四、劇場のイドラ…権威がある学説を、人々が正しいかどうか考えずに信じてしまうこと。
自然法則を把握すれば、自然を支配できると考えたのはベーコンなどの科学思想家である。彼らは帰納法と呼ばれる論証の仕方で自然の中にある法則を発見していった。
ベーコンは科学的な発想をするには、偏見を取り除くべきであるとし、偏見には4つの型があるとした。
一、種族のイドラ…民族に共通な思い込みで、例えば、「雷は神様が怒っている」などのこと。
二、洞窟のイドラ…各個人の偏見、思い込み。
三、市場のイドラ…言葉づかいの間違いによる思考の偏りのこと。
四、劇場のイドラ…権威がある学説を、人々が正しいかどうか考えずに信じてしまうこと。
17世紀、フランスの哲学者デカルトは機械論的自然論を唱えた代表者である。
古代ギリシャのアリストテレス哲学やそれを受け継いだ中世のスコラ哲学では、自然界の様々な現象を霊魂や内的な目的によって説明した。これに対して、近代では自然界を機械論で捉えた。
世界をビリヤードの球がぶつかり合うような動きで現象の因果を説明する。最初に作用する力がものに与えられてあとは、因果関係によって作用されたものは勝手に動いていくイメージである。そこに、ものに対して中世的な神の意志や神の目的は介入しない。
デカルトは、絶対的確実な真理を求めるためにはすべてを徹底的に疑った。これは、方法的懐疑と呼ばれる。
疑わしいものをすべて疑って、どんなに疑っても疑いきれないものが残ったならば真理(真の知識)でなないかと考えた。
古代ギリシャのアリストテレス哲学やそれを受け継いだ中世のスコラ哲学では、自然界の様々な現象を霊魂や内的な目的によって説明した。これに対して、近代では自然界を機械論で捉えた。
世界をビリヤードの球がぶつかり合うような動きで現象の因果を説明する。最初に作用する力がものに与えられてあとは、因果関係によって作用されたものは勝手に動いていくイメージである。そこに、ものに対して中世的な神の意志や神の目的は介入しない。
デカルトは、絶対的確実な真理を求めるためにはすべてを徹底的に疑った。これは、方法的懐疑と呼ばれる。
疑わしいものをすべて疑って、どんなに疑っても疑いきれないものが残ったならば真理(真の知識)でなないかと考えた。
注、疑う→信じないこと、まず本当にそれが正しいのかと思うこと。
【参考文献】
超訳 哲学者図鑑 富増章成
超訳 哲学者図鑑 富増章成
哲学概論 西田幾多郎
日本の無思想 加藤典洋