ウィトゲンシュタインは自身の著作『論理哲学論考』によって、古代ギリシャのソクラテスから現代に至るまで、哲学のすべての問題を解決したと考えた。彼は言葉自体を論理的に分析する点で、それまでの哲学の考え方とはまったく異なるものだった。
ウィトゲンシュタインは、言葉・文章を事実に対応するように書くことが正しい言葉の使い方だと設定している。 この世界を構成するものは事実に対応する言葉であり、その言葉は常に事実と対応する科学的な文章でなければならない。
たとえば、りんごは赤い、彼が事故死した、電車が遅れている、というように人間は事実に対応した言葉で世界を作り上げていくのである。
ウィトゲンシュタインは、言葉・文章を事実に対応するように書くことが正しい言葉の使い方だと設定している。 この世界を構成するものは事実に対応する言葉であり、その言葉は常に事実と対応する科学的な文章でなければならない。
たとえば、りんごは赤い、彼が事故死した、電車が遅れている、というように人間は事実に対応した言葉で世界を作り上げていくのである。
よって、事実に対応しない抽象的な”運命はあるのか”、”真実の愛とは”、”何のために生きるのか”といった問いはウィトゲンシュタインの理論上は意味をなさないものとなる。
今までの哲学は、過去の哲学の内容を批判するという形で続いていった。たとえば、プラトンのイデア論をアリストテレスが批判し、そこから自分のイデア論を展開する、というかたちで哲学は発展してきた。
哲学とは言葉によって作られているのであり、もし言葉の使い方や用い方が誤っているならば、根本的に”問い”も”答えも”間違っていることになる。だから、ウィトゲンシュタインは今までの哲学が論理的に誤っているとした。
今までの哲学は、過去の哲学の内容を批判するという形で続いていった。たとえば、プラトンのイデア論をアリストテレスが批判し、そこから自分のイデア論を展開する、というかたちで哲学は発展してきた。
哲学とは言葉によって作られているのであり、もし言葉の使い方や用い方が誤っているならば、根本的に”問い”も”答えも”間違っていることになる。だから、ウィトゲンシュタインは今までの哲学が論理的に誤っているとした。
事実に対応した言葉こそ、本来の言葉の使い方であろう。しかし、言葉の誤った使い方をして、おかしな問いと答えを出している人間という生物が合理的な生きものであるわけがないのだ。近代哲学が提唱した理性的で合理的な人類像も甚だ怪しくなってくる。
注、語れないものについては語ることができない、語るべきではない。誤った問いからは、永遠に正確な答えが出てくるわけがないのだから。そのような徒労を後世に至るまで残してはいけないからである。しかし、語りたくなるのが人間である。
【参考文献】
超訳 哲学者図鑑 富増章成
超訳 哲学者図鑑 富増章成
哲学概論 西田幾多郎
日本の無思想 加藤典洋