ぎんゆうしじんになりたい男のブログ

キングコングバンディと猪木のボディスラムマッチみたいになってっけどよぉ by 上田晋也(くりいむしちゅー)

3、マニエリスム

 高山宏なりのマニエリスム(mannerism)解説。
 マニエリスムの歴史的背景
 『何となくいろいろとつながってひとまとまりと意識される世界が、主に1、戦乱その他の大規模なカタストロフィーを通し、かつ2、世界地図の拡大、市場経済の拡大といった急速に拡大する世界を前に一人一人の個人はかえって個の孤立感を深めるといった理由から、断裂された世界というふうにかんじられてしまう。その時ばらばらな世界を前に、ばらばらであることを嘆く一方でばらばらを虚構の全体の中にと「弥縫」しようとする知性のタイプがあるはず。それがマニエリスムで、十六世紀の初めに現れて一世紀続いたとされる。そして理由1、2を考えると、二つの未曾有の世界戦争やグローバリゼーション狂いのこの二十世紀もまた、マニエリスム向きの時代である他ないだろう』
 マニエリスムとは、どのような技術か?
 『「つなぐ」ことで「驚かせる」』それが、現実の世界と個人を結びつけるマニエリスムの手法である。
 『未曾有の断裂は未曾有の結合をうむ、とでもいうか。マニエリスム・アートが「アルス・コンビナトリア(ars combinatoria=結合術)」と呼ばれるのはそのためである。合理的には絶対につながらない複雑な観念を非合理のレヴェルでつなぐ超絶技巧をマニエリスムという、といってもよい。
 マニエリスムが一九二〇年代のシュルレアリスムによみがえるという発想は、だから説得力がある。シュルレアリスムの本場フランスの人がホッケの「迷宮としての世界」をフランス語に翻訳する際には、副題を「シュルレアリスムの出発点」としている。マニエリスムとは、基本的には東ヨーロッパ、中央ヨーロッパで発展し、第二次大戦を契機に、今のドイツに必要なのはこれだとばかりにドイツ人が流行させた概念なのに、シュルレアリスムの母国の人たちは知ったことではない。
 十九世紀の終わりには、南米出身のフランス詩人ロートレアモン(一八四六~一八七〇)がいった「手術台の上のミシンとこうもり傘の出会い」という言葉が、シュルレアリスム芸術のめざす「驚異」の定義となっている。(後略)』
 マニエリスムは「驚かせる」こと、シュルレアリスムは「驚異」を、なぜ両者ともに鑑賞者を驚かせることに重点を置いているのか。
 人をびっくりさせる、するとその人の心の中で眠りこけていたものが動き出すと考えたからである。
 マニエリスムの根本義は「人を驚かせること」である。人を驚かせる方法として、1、”もの”と”もの”をつなげることで驚かせる、2、つなげる方法として魔術的(不合理)なものをいとわないこと、がある。人を驚かせることで、眠っていた何かを呼び起こすために、マニエリスムは「驚異」を用いるのである。それは、一人一人に”もの”と”もの”とを結びつける意識が目覚めることで、ばらばらになった世界をいつか”ひとつの世界”に戻すためだからである。
『世界がばらばらだという絶望を認識論の深まりとして受けとめたマニエリスムは、でも世界はひとつ(であってほしい)という希望を魔術思想にかけた。先に述べたテサウロの著作「アリストテレスの望遠鏡」(一六四五)の扉絵のアナモルフォーズが、その「多」と「一」の関係を絶妙に示してやいまいか。「多は一の中に」と銘にある。(後略)』
 『政治的にはばらばらで、大戦争が続いた十七世紀ではあったが、当然ともいうべきだが、その中から協調したい、和解したいという動きが猛然と出てくる。合理的には絶対不可能だと思いながら、和解を夢見るシェイクスピアが、魔術を求めた話しはしておいた。シェイクスピアが抑圧されたのと同じタイミングで、魔術哲学が消滅した。現在日本の高等教育の哲学科は、魔術哲学など存在しなかったかのごとくで、基本はデカルトに始まり、たとえばデリタまでといういとも不思議な状況になっている。その倍ほどもある哲学史が無視されている。』

【参考図書】
高山宏 奇想天外・英文学講義 講談社選書メチエ

注、『人をびっくりさせる、するとその人の心の中で眠りこけていたものが動き出すと考えるのだが、マニエリスムも同様なアートである。マニエリスムに「驚異」の問題をもちこんだのは、エマヌエーレ・テサウロ。まさしく王位教会ができたころにイタリアで活躍していた批評家である。」』