ぎんゆうしじんになりたい男のブログ

キングコングバンディと猪木のボディスラムマッチみたいになってっけどよぉ by 上田晋也(くりいむしちゅー)

5、ピクチャレスク

 ピクチャレスク
 ルネサンスを経験しなかったイギリスは如何にして美術を覚えたのか
 『極論をすると、十八世紀以前、イギリス人は物を見ることができなかった。物の見方には一定の規準がいる。何となく見るなんてことは、ない。見るとしても、必ずだれかに教わった見方をしているわけだが、一番有名なのは遠近法である。遠近法は、図学の方からいうと、矛盾だらけ、うそばかりの描き方である。ところが、我々が世界を見る見方とはわりと一致する。遠くのものは、小さく見え、近くのものは大きく見える。いつのまにか、遠近法的に見る。だから遠近法的に見えるのである。
 なぜ人間は、特に近代において「見る」ことにそれだけ狂うようになるのか。かつて当たり前の器官だと思われていた目で、かつて当たり前だと思われていた「見る」という行為が、なぜ特にこの三百年だけこれほど問題になるのか。』
 現代人が、物の見方、絵の見方、図画の見方を知っているのは、小さいころから当たり前のように絵を見ていたからで、だれかがこういう形で何かを見ました、世界はこういう「構図」で、こういう「アングル」で眺めるといいですよという、教えを受けているからである。
 ルネサンスがなかったイギリスは、グランド・ツアーによって何十倍というスピードでイタリアを消費し、フランスを出し抜いていった。
 『半世紀以上かけて、国全体を、だれの命令でもなく、「イタリア」というテーマのテーマパークにしてしまったのが、十八世紀イギリス人である。これを倒錯といわずして何というか。イギリス人にとっての「ネイチャー」とは一体何か。ピクチャレスクを知らずして、答えはでない。』

【参考図書】
高山宏 奇想天外・英文学講義 講談社選書メチエ

注、『風景描写なるもの、実は自然景観を相手にした観相術だったといえる。』
 
 敗戦後、日本が国土をアメリカ的に塗り替えてゆく様と似ている気がする。