ぎんゆうしじんになりたい男のブログ

キングコングバンディと猪木のボディスラムマッチみたいになってっけどよぉ by 上田晋也(くりいむしちゅー)

6、描写

 画面に描写する。 分析/分解へ
  大英博物館の誕生
『まず、分類学への突破口を開いたのが「博物学」であった。イギリスの場合は、十八世紀の真ん中ではっきり一段階アップする。一七五三年に、ハンス・スローンというヴァーチュオーソの個人的な「キャビネット」が国家に遺贈されたのを機に、「大英博物館条例」が出来て、ここからパブリック・ミュージアムの歴史が始まる。(後略)』
 『十八世紀の半ばぐらいまでは、「キャビネット」といえば、自動的に「キャビネット・オブ・キュリオシティーズ」のことを指した。要するに「好奇の対象になり得るものをいろいろ集めた小部屋」の意味である。「ワンダー・キャビネット」などともいう。』
 好奇の対象を並べて見ることから、科学的に比べて見る「博物学」へと、ものを見る目が変わることで、物Aは物Bとなにが異なるのかという、分析/分解の思考が始まる。それは、ものを描くことにも影響を与え、対象の科学的な正確さを伴った精密な描写がうまれることになった。絵画はやがて、多義性を有する象徴を描くことから、正確な意味をもつ表象を描写することになった。
 『大ざっぱにいうと、びっくりさせてくれるものをとにかくたくさん集めて、その物量で「どうだ、オレの方が偉い」などといっていた「驚異」の文化が、一七五三年で消滅したということである。そして、国家管理になったときに、王立協会の生物学者たちがそれを管理することになった。そう、「人が話す言葉はシンプル・イズ・ベスト」などといっている連中が、一角や二角のサイを扱うようになる「差異の世界」である。フーコーが「相似」の世界と呼んだ魔術的世界の終わり。
 今まで教養のない貴族が、「焦げ茶色の悪いことをする臭い虫」といっていたものに「ゴキブリ」と名前をつける。さらにチャバネとヤマトとに分かれる。チャバネはチャバネでもさらに、○○チャバネと分かれる。そういう分類をした人が分ける能力を持たない人に比べて「オレの方がわかっている」という優越感を持つようになる。こうして分析的な理性や合意が形を成してくる。
 しかも、それは大変視覚的なものを伴う。視覚、あるいは視覚的なものが生み出す材料の一番の強みは「混沌」と逆のものである。二つのものがいかに明晰に分かれて(あいだに何もない白い空間を置かれて)、いかに明晰に別々のものとして認識できるかという多分新種の快楽を与えられる。
 ここから、いわゆる言語中心の物の考え方が主流になる。絵は、イラストレーションの地位に落ち、「言葉をよりよく説明するため」という従属的な役割になる。あるいは、絵そのもののあり方がかつて目指したことのない「精密さ」という、本来言語が誇っていた特性のおこぼれにあずかるようになる。
 十八世紀半ばから、絵自体が、自分で意識しないうちに言語と同じ構造を目指そう近づこうとする傾向が始まる。先鞭をつけたのは、もはや繰り返すまでもなく、一七二八年のチェンバースの「サイクロぺディア」で、このあたりから、現実に近い精密な絵が出現した。
 十八世紀の半ば以後、視覚文化とは、きちんと分けられたものを見る快楽であり、その快楽が「合理」「理性」という名前で人間の頭脳の構造として説明されていく。
 我々は「合理」「理性」と簡単にいうが、実はイギリスのこの時代くらいからあらわれてくる大変歴史的な特異現象である。』
 自然だけを対象としていた博物学が、その範囲を人間へと拡大したときに、「観相学」という現象となって十八世紀から二十世紀にかけて、ヨーロッパを席巻する。人間に対してもたくさんのケースを集めて分類し、すべてを絵にするという動きをとる。
 自然だけでなく、人間も分析/分解の対象となった。

【参考図書】
高山宏 奇想天外・英文学講義 講談社選書メチエ