ぎんゆうしじんになりたい男のブログ

キングコングバンディと猪木のボディスラムマッチみたいになってっけどよぉ by 上田晋也(くりいむしちゅー)

8、ルイス・キャロルと怪物

 ルイス・キャロル
 『徹底した論理の貫徹(推理小説)と魔術(オカルト)の共存。これがシャーロック・ホームズの作者のありようだが、それはルイス・キャロルこと、チャールズ・ラトウィッジ・ドジソンについてもそっくりいえる。』
 高山宏は、二つの「アリス」物語は一種の「テラトロジー(怪物学)と考えている。
 『この世界で怪物に会ってもアリスは別に驚かない。そして、ツアーが終わると「時間だよ」という声とともに、彼女は普通のリアルな生活に戻る。我々は、一種のミステリー・ツアーにつき合っているのだ。この童話は、どれも十二章からできているが、十二とは、時間の一回りであり、季節の一回転である。始めから終わりまでをワンクールとして見させるミステリー・ツアーである。出てくる動物や植物は当時大はやりの博物学のパロディで、怪物が出てくるのはそういうパロディックな意味があるのだ。
 かつて、分類学者のリンネは明快に区別した。区別できないものは全部ひとまとめに「パラドクサ」と呼んでいるのが面白い。博物学はそういった区別をやってきたから、キャロルの皮肉な博物学は、むしろどちらにも属さない、中間のミックスされた「パラドクサ」ばかり作ることになる。「区別されたものは気持ちがいい。理解できるようになったから」という博物学の流行の渦中にあったルイス・キャロルは、もちろん博物学が好きだった。その中で、彼はあえて「怪物」というテーマを取り上げる。つまり、ジャンルを超えた混淆的なものをまたリヴァイヴァルさせて見せる。それがつまり「グロテスク」の定義である。』
 『博物学は、徹底した「見る世界」「合理的な世界」で、できるだけ細かく分けて、AとBが違うことをはっきり示す快楽にかけてきた文化であるが、それがヴィクトリア朝の半ばごろ、いろいろなところから崩れ始める。そしてこの分類システムがそれをかぶせることで自然をいいように人間化したところの表象、つまり言葉もまた、ということができる。』

【参考図書】
高山宏 奇想天外・英文学講義 講談社選書メチエ
注、この場合のパラドクサとは、区別できないもの、区別できる特徴が複数のカテゴリーにまたがっているもの、かな。
 近代以後の怪物とは、ドラゴンとかではなく分類できないものなのだろう。恐竜に似たモンスターやキングコングは、サイズがありえないのでおそろしいのだが、見た目で種族が分類できる以上、こわくはないのかもしれない。エヴァンゲリオンにおける使徒は、分類できない外見だからこそ、得体のしれないこわさがある。
 言葉も、物体も、表象も他とは異なる区別が行われ、整理された。