ぎんゆうしじんになりたい男のブログ

キングコングバンディと猪木のボディスラムマッチみたいになってっけどよぉ by 上田晋也(くりいむしちゅー)

ホッブス

 平和な「自然状態」では、人間は生来自由で平等な存在である。しかし、「危機状態」(戦争や風水害、地震などの例外状態)になると、人間は生きるために「万人の万人に対する闘争状態」を引き起こすことになる。
 これでは人間の「自然状態」においてもっている「生きる権利」=「自然権」を全うできない。
だから、「自己保存」のために各人が自然権を主張せず、互いに力を合成し、社会契約を結ぶことで、共通権力(コモンパワー)を作るべきであると、ホッブスは説いた。
 この社会契約を結んだ人間の多数決によって代表を選出し、選ばれた代表は契約者全員の意志を代表する人格(ペルソナ)を現すものとされる。この代表が選出されたときはじめて国家=コモンウェルが成立する。
 ただし、契約者の力を合成しただけでは単なる群衆であり、コモンウェルズ(国家、政治社会)は、選出した代表の制定した法律を為政者も人民も守らなければならない。
 つまり、ホッブスは「法の支配」が実現してはじめて安全に国民として生活ができる、と考えた。
 この法律は神ではなく人間が定めたものである。
 
 ホッブス以前の政治を考える基本単位をポリスや家族としていた。しかし、ホッブスは人間(個人)を基本単位とする政治体系を構想した。
 ホッブスはなぜ人間中心の政治論、国家論を考えたのか。
 著者は、英国では当時、国王側、議会側に分かれており、どちらにも組せず政治・国家を論じるには人間という立場からはじめるしかなかった、としている。
 
 注、自然権…生きるために人を殺すことでさえもかまわないとする権利
 
 経済の発展が人間の食糧を安定的に確保することを可能にした。ここから人間の私的な目的が、生きることから欲望に変化した。この私的な目的の変化が公的空間にも影響を及ぼしている、と考える見方もある。
つまり、古代ギリシャの生きるための自己中心と近代の欲望実現ための自己中心は異なるということ。
 法律は利己的な人間を規制するために必要であった。教会が定めた神の法で人間の欲望を規制することはできなっかたのだろうか。

 【参考文献】
ホップス リヴァイアサンの哲学者  田中浩 岩波新書